先日、「
いのちの食べかた」という映画を観に行ってきた。
これ、完全なドキュメンタリー映画で、ナレーションも何もない。
その場の映像と、その場の音。
約90分、これだけの映像が、淡々と流れる。
映像だけで、訴える映画。
行く前に少しだけ調べてあったので、このことは知っていた。
知らなかったら、かなり驚いていたと思う。
この映画を観ようかどうしようか、私の中でかなりの葛藤があった。
でも今は、観て良かったと心から思っている。
普段、何気に口にしている肉や魚や野菜たち。
その食べ物が、どのようにしてスーパーに並ぶのか。
その現場を、ほんの少しだけ、垣間見ることができた。
牛・豚・鶏が殺されるシーンもあるので、この映画を観て、
残酷だ、とか、ひどい、とか思う人もいると思う。
私も何度か、涙が溢れそうになった。
でも、この映画を作った人は、この映画を観た人に
「殺される動物が可哀想だから食べない」
なんて思って欲しくて作ったわけではないんだと、私は思う。
以前、沖縄へ旅行した時、イノシシ捕獲の場面に出会ったことがある。
そのとき、こう言ったおばさんがいた。
「いやね〜、沖縄の人って野蛮なのね〜」
そうだろうか。
このおばさんは、自分がイノシシに襲われたら、何と言うのか。
それに、スーパーで牛肉や豚肉を買って食べないのだろうか。
牛や豚はよくて、イノシシは可哀想なのか。
思うに、スーパーで「肉」になって売られている牛や豚や鶏たち。
「“牛肉”を食べてる」という意識はあっても、
「“牛”を食べてる」という意識は、あまりないのかもしれない。
実際に私も、牛肉=牛、ということは分かってはいても、
「牛を食べている」とは、あまり感じていなかったように思う。
もちろん、豚や鶏も同じ。
そのことを改めて気づかされ、思い知らされた気がする。
また、この映画では、何度となく、食事のシーンが出てくる。
豚の内臓を処理する映像の後、従業員が食堂で並んでいるシーン。
作業のためにナイフを研いでいた女性が、パンをパクつくシーン。
「よく食べられるな」という気持ちが、なかったわけではない。
でも、もし私がこの仕事をしていたとしたら、どうだろう?
動物を殺したからと言って、食事ができなかったら、私は死んでしまう。
そして、こういう仕事をしてくれる人がいるからこそ、
私たちは手軽にスーパーで食材を買い求め、食べることができる。
生きるために、食べる。
たくさんの命をもらって、生きる。
生きている間中、ずっと続く「食べる」ということ。
このことについて、とても考えさせられる映画だった。
↓人生で初めて、1人で観た映画。